田中健二朗投手 野球人生年表 完全版
本日4月6日は「田中健二朗の日」ということで、野球人生年表第2弾は、先日の「新・横浜に入る悦び37」で登場した田中健二朗投手の「野球人生年表」を、健二朗さんの証言をもとに加筆修正を加えた完全版にしてお送りします。
1万5000字を越えてしまう超長編です。
試合のない月曜日に、背番号46のマウンドでの勇姿を、思い出してみてはいかがでしょう。
※この野球人生年表は全10部から構成されています。
1 誕生~鳳来中学編
2 常葉菊川高1・2年生編
3 常葉菊川高3年生 センバツ全国優勝編
4 常葉菊川高3年生 夏の大会編
5 横浜ベイスターズ 入団編
6 横浜DeNAベイスターズ TBSからDeNAへ編
7 横浜DeNAベイスターズ 木塚コーチとタイマン編
8 横浜DeNAベイスターズ 覚醒・セットアッパー編
9 横浜DeNAベイスターズ TJ手術からの復活編
10 横浜DeNAベイスターズ~くふうハヤテベンチャーズ 不死鳥・引退編
【誕生から鳳来中学時代】

田中建二朗は1989年9月18日。長篠の合戦で有名な長篠城の山ひとつ向こう、愛知県南設楽郡鳳来町の山深い場所に三人兄弟の次男として誕生した。そこは、タヌキやイノシシ、サルに最近ではクマまで出たという大自然のなかのぽつんと大きな一軒家。
風光明媚な大自然の中で育った健二朗は、97年に鳳来町立山吉田小学校へ入学。毎日5キロの通学路を通い自然と足腰が強くなったとか。ちなみに通学路の途中には長篠の戦で「援軍が来るぞ!」と味方に告げて磔にされた忠義の士、鳥居強右衛(とりいすねえもん)の磔を描いたおどろおどろしい看板があったとか。ドラえもんよりすねえもんに親しみながら育った少年時代が、あの敵を前にしても怯まない気合いを育んだのかもしれません。
野球を始めたのは小学2年生の頃。ひとつ上の兄の影響で山吉田少年野球クラブで野球をはじめると、自宅の庭に父がマウンドを作り、兄を相手に投球練習をする毎日。当初は右利きだったが、ムキになって力いっぱい投げる時は左の方がいい球がいったので、左投手としてのびのびと育っていきました。