後ろ姿のない男~高田繁が遺したかった野球
「それにしても高田繁ほど取材のしにくい男はいない」とボクが言った。
「そうでしょうね。あの選手は、いわば〝後ろ姿のない男〟ですから」
これは、高田繁の現役時代に、彼を知る元報知新聞記者の山下重定氏と、当時の巨人軍コーチだった国松彰とのやり取りです。

高田繁さんの本を書きました。
3年間、話を聞いて、驚いて、死ぬ思いで書き終わったものの、未だに何かに追われるような、とんでもないものを見てしまったような、虚脱感に襲われています。
高田繁……興味ありますか?
年配の野球ファンか雅子妃殿下ならまだしも、現役時代を知らない50代以下の人はあまりないでしょうね。僕もこの本を書いている時に、いろんな人に聞きましたが、「YES!」と朗らかに応える人はいませんでした。
先日、25歳のベイスターズファンに「高田GMがね~」と話を振ったら、「誰ですか、それ?」と言われて軽くショックを受けてます。でも年齢は問題じゃなくて、中畑清のことは知っていても、高田GMが何をした人なのか、知っている人がそんなにいないってことなんですね。
かく言う僕も自慢じゃないですが、この本を書く前、高田繁さんのことはミユキ野球教室で講師をやってるとか「がんばれレッドビッキーズ」に石ノ森章太郎と出てたぐらいしか知りませんでした。
DeNAのGMだった時代も取材で話を聞こうとしてもロクに相手にしてもらえず、以前の記事にも書きましたが、元巨人のスターだし、TBS体制で獲った若手選手を血も涙もなく切り捨てたり、藤田一也をトレードに、金城龍彦に戦力外を出すなど、正直なところ好意的には思えませんでした。というか、興味をそそられる人物ではありませんでした。
強いて興味があったといえば、ウソかホントかわからない高田伝説のみ。
いくつか列挙してみましょうね。
最も荒れていた時代の浪商で番を張っていた。歴代でも一番恐ろしいのは高田。
天理入学が決定した牛島をひと睨みで浪商入学へ翻意させ「一番恐ろしいのは高田さん」
明治大学・島岡御大に星野仙一と共に卒業まで殴らせなかった高田
繁華街で星野仙一に絡んできたヤクザを秒で沈めた高田
硫酸で装備する過激派学生100人が占拠する学生会館の扉を石で叩き割り一人突入して制圧した鬼のような高田。
巨人ではルーキーながらリアリスト川上哲治に𠮟る隙を与えなかった高田。
浪商の大先輩である張本勲が巨人に移籍してくると「巨人では俺の方が先輩だから」と敬語を使わなかった上下関係に厳しい高田。
引退の理由は「捕球位置のイメージと20㎝のずれがあったから」と宣う塀際の魔術師高田
どこまでホントなんでしょう。これらは実際のところ聞いてみると、ホントのこともまるっきりのデタラメであることもあって(半分ぐらい近藤唯之が悪いんですけど)でもまぁ、こういう伝説がついて回るのも、人物が知れないために1が10にして伝えられたのだろうと今は納得しています。
先日、とある新聞社にこの本にまつわる取材を受けたのですが、そこでも「V9時代の各選手に大概仲のいい記者が何人かいるのに、高田繁だけは誰もいない」なんて話も聞きました。
実際に取材をするようになって、資料を集めて読むようになって、僕は、というか、高田繁のことをわかっている人なんて誰もいなかったんじゃないかと思うようになりました。
今回、書いた高田繁本のタイトルに「後ろ姿のない男」とつけたのは、高田繁という人物が過去を語ってこない人であり、知っているようで実のところ、何も知らない謎の野球人だったからです。
その後ろを振り返らなかった高田繁が、78歳になって終活をはじめました。
そんな人が「これから話すことは俺の遺言だ」と、これまで語ってこなかった後ろ姿をはじめて見せようとしてくれたのです。僕が本を書けたのは本当にたまたま。運がよかったんです。
もっと高田さんに近いベテラン記者も、懇意の書き手もいたでしょう。だからこそ、とんでもないプレッシャーでした。でも、高田さんはそんなのはどうでもいいとばかりに、取材の度に、正直な言葉で、”墓場にまで持って行かなければいけない約束事”を絶妙に交わしながら、歴史の真実を話してくれました。その話の内容であり考え方も然ることながら、僕は次第に高田繁という頑固で一貫した生き方にどんどん惹かれていきました。
これは本の目次なんですけど、高田さんは、1955年の加賀谷中、浪商から明治、巨人、日ハム、ヤクルト、DeNAで今年の最後の取材日だった2026年開幕まで、およそ日本野球の70年の変遷を身を以て体験しています。

しかも野球の振れ幅が極端です。ちょっと内容を紹介しますね。ちょっとだけ。